日本文化
みたま祭りの翌朝、護国神社で見つかった忘れてはならないこと。
2026/8/20
きっかけは、
遠く離れたポーランド人の友人から届いた、
ひとつの質問だった。
福岡でいちばん好きな神社がある。
福岡縣護国神社。
街中にあるのに、
ここだけ静か。
抜けるような空。
樹々。
たまに大濠公園をジョギングすると、
少し足を延ばしてでも、
ここをルートに入れたくなる。
大きな鳥居を見上げると、
なんだか気持ちが清々しくなるのだ。
そんな護国神社で、
今年の夏も「みたま祭り」が開催された。
みたま祭りに来たのは、
8年ぶりくらい。
2度目だった。
今回は友人が献灯をしたからと、
誘ってくれたのがきっかけだった。
日が暮れ始めたころ、神社へ。
いつもは静かな参道が、
この日は全然違う。
鳥居の前には屋台が並び、
たくさんの人。
お祭りだ。

その先には、
献灯された提灯がずらりと並んでいる。
夕闇の中に浮かび上がる光の列に、
吸い込まれるように入っていった。

鳥居をくぐり、
ひとつひとつ眺めながら、
参拝の列に並ぶ。

英霊感謝。
先祖感謝。
家内安全。
健康。
そんな言葉と一緒に、
祈願した人の名前が書かれている。
これまでにも見ているはずなのに、
こんなふうに一つひとつを読んだのは、
今回が初めてだった。
そのすぐそばでは、
子どもたちが射的をしている。
家族で屋台をのぞいたり、
浴衣で歩いたり。
ごく普通の、
夏祭りの景色があった。

その日、
ポーランド人の友人とメッセージをやりとりしていた。
「今、日本はお盆だよ。
今夜は護国神社のみたま祭りに行くよ」
そんなことを送って、
私は祭りへ出かけた。
そして帰宅してから、
メッセージを見ると、
こんな質問が届いていた。
Gokoku Shrine has a sculpture of a military pilot. Who is that?
Also there is a very nice sculpture of a family — I think — of two parents and three children. There are five pigeons below. What is this about?
??
軍人の像?
家族の像?
そんなの、あったかな?
家族の像は、
見たことがあるような気もする。
でも、
二人の親と三人の子ども?
鳥もいる?
何度も行っている護国神社なのに、
思い出せない。
しかも、
ついさっきまでそこにいたのに。
もう夜だったので、
確かめることもできない。
気になったまま一晩過ごして、
翌朝。
もう一度、
護国神社へ行った。
今度は、
二つの像を探しに。
前の晩のにぎわいが嘘みたいに、
境内はいつもの静けさに戻っていた。
まずは、軍人の像。
いつもジョギングするときに通るあたりにはない。
参拝をして、
境内を見渡してみた。
どこだろう。
普段はあまり通らない社務所の方へ歩いていくと、
あった。

大きな樹の下に、
ひっそりと立っていた。
近づいてみる。

「福岡県特攻勇士之像」。
そばにある碑には、
「私たちは決して忘れはすまい」
という言葉が刻まれていた。
福岡県出身の特攻隊戦没者を慰霊し、
後世に伝えるために建てられた像だった。
何度も来ている護国神社に、
こんな場所があったんだ。
長崎や沖縄を訪れたときにも、
戦争について考えたことがある。
長崎で原爆について触れたとき。
沖縄でひめゆりのことを知ったとき。
その場所に立つと、
戦争は急に近くなる。
けれど、
日常に戻ると、
また少しずつ遠くなっていく。
自分の祖父母たちも、
戦争の時代を生きている。
でも家で、
戦争の話が語られることはほとんどなかった。
私も詳しく聞く機会のないまま、
大人になった。
もうひとつ。
友人が言っていた
「家族の像」も探した。
こちらは、
昨日のお祭りのときにも近くを通っていた。
でも屋台や人に隠れて、
ちゃんと見えていなかったのだ。

「平和の像」。
男女と子ども、
五人の像が並び、
その下には五羽の鳥が飛んでいる。
建立時の碑には、
第二次世界大戦で亡くなった戦没者と、
遺された人々への思い、
そして世界の平和への願いが記されている。
ああ、これだ。
この像は確かに、
見たことがある。
でも、
何を表しているのかまで
考えたことはなかった。
何度も来ている場所でも、
知らないことはたくさんある。
見えているようで、
見えていないものもある。
友人から届いたひとつの質問がなかったら、
私は翌朝、
この二つの像を探しに来ることもなかった。
今も世界では、
戦争が続いている。
ニュースを見て、
そのときは心を痛める。
それでも、
毎日の暮らしの中で、
戦争のことをずっと考えているわけではない。
だから、
みたま祭りのような時間があることには、
意味があるのかもしれない。
過去にあったことを思い出す。
そして、
今ある日常が当たり前ではないことを、
もう一度思う。
祭りから帰った夜に届いた、
ポーランド人の友人からのひとつの質問。
その答えを探しに行った翌朝。
いつも訪れていた護国神社が、
少しだけ違って見えた。