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インタビュー

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着物を着てみたら、世界の見え方が変わった。

2026/9/30

「なんで、こんなに縫い目が大きいんだろう」

貴子さんが手にした古い着物は、背中がずいぶん大きな針目で縫われていた。
雑に仕立てられたものなのだろうか。 

気になって調べていくと、どうやら違った。

着物には、糸をほどいて洗い、また仕立て直す「洗い張り」という手入れ方法がある。着物が日常着だった頃には、そうして一枚の着物を繰り返し手入れしながら大事に着ていた。

貴子さんが調べたところでは、普段着は自分たちでラフに縫うこともあった一方、一張羅はしっかりと仕立てられていたという。

「すごくアバウトに縫ってあるように見えて、もう解くことを前提なんだって。美しい着物を縫うには、縫い目の細かさより、まっすぐ縫うことの方が大事だった」

一見、雑にも見えた大きな縫い目にも、ちゃんと理由がある。

貴子さんの話を聞いていると、知っているつもりだった着物の向こうから、知らなかった暮らしの知恵が次々に見えてくる。

着物を着始めたのは、ほんの数か月前

こんな話をするくらいだから、貴子さんは昔から着物に詳しかったのだろうと思う。けれど、日常的に着物を着始めたのは、今年の5月だ。

着物との出会いは、もっと前にある。11年前、東京から岩手へ移り住んだとき、蔵で捨てられそうになっていた古い着物を譲り受けた。

着方はわからない。それでも、どれも美しくて手放せなかった。ときどき取り出しては、ただ眺めていたという。

そして11年目の今年。

「今年こそ、これを着る」

そう一念発起し、単発の着付けを習いに行った。

教えてくれた先生の所作が美しく、その姿に惹かれた。着付けを習ったあとには、そのまま先生と着物でランチへ行った。

着物へのハードルが、一気に下がった。

そこから約3か月、貴子さんは自分なりに着物を着て暮らしてみた。

自宅の一室には畳を敷き、桐箪笥、和裁机を置いた。そこで縫い物もするようになった。茶道も習い始め、同じように着物に興味を持つ友人たちとは、着付けの練習会も始めた。

着物を畳む。
きちんとしまう。

バッグの置き方や、衣服の扱い方にも自然と気を配るようになった。ものを大切に扱ううちに、自分自身の扱い方も変わっていった。

直線裁ちの布を縫い合わせてつくられる着物を、貴子さんは風呂敷にも重ねて見る。身体を包むように着ると「自分自身も大切に包まれているような感覚がある」という。

着方も、最初は自分の身体を着物に合わせようとしていた。それが着ているうちに、今度は自分の暮らしや好みに着物を合わせるようになっていった。

自由に着崩すこともできる。

一方、茶道を習い始めると、その場に合わせてきちんと着物を着ることも知った。

自分の好みに着物を合わせること。
その場や相手に合わせること。

どちらか一つではない。

着てみるから、その違いもわかってくる。

「着物っていうのはやっぱ頭で着るもんじゃなくて、手が覚えていく。体で覚えていく」

着物は五感で捉え、着付けは手や身体で覚えていく。

着物を着るようになって、もう一つ変わったことがあるという。

以前よりも、頭で考えることより、身体で感じることを優先するようになった。考えてから動くのではなく、まず感じてみる。

そうすると、以前よりもラクに生きられるようになったという。

いつもの暮らしなのに、見えるものが少し違う。
貴子さんは、その感覚を「パラレルワールドみたい」と表現した。

違う世界へ行ったわけではない。
自分の「物差し」が変わると、同じ世界が違って見える。着物は、貴子さんにとって、そんな新しい物差しになり始めていた。

30年前、逃げ回りながら縫った着物

着物との接点をさらに遡ると、幼いころまで戻る。

貴子さんのひいおばあちゃんは、普段から着物を着ていた。昔の写真を見返せば、小さな貴子さんのそばに着物姿のひいおばあちゃんがいる。

祖母もまた、多趣味で、日本文化にまつわるさまざまな習い事をしていた。幼い貴子さんも、よくその後についていったという。

七五三や夏祭り。着たいときには、お気に入りの衣装のように着物を着ていた。

そして短大では、家政科で和裁と洋裁を学び、家庭科の教員免許まで取った。

と聞けば、もともと裁縫が得意だったのだろうと思う。

ところが、本人の記憶はまるで違う。

「縫い物は好きだったけど、学校では出来の悪い生徒だったから、とにかく課題をこなすのが嫌で。クラスメイトが着物を縫い上げてるのに、私はもう教室で先生から隠れて逃げ回ってたのね」

当時、神戸で一人暮らしをしていた貴子さんは、課題がなかなか終わらず、実家から祖母に来てもらい、手伝ってもらったこともあった。

最近、そのときに縫った着物が30年ぶりに出てきた。

しつけ糸がついたままで、今でも十分に着られる状態だった。

「結構縫い方綺麗だから、だいぶおばあちゃんが縫ってたのかなって」

そう笑う。

ただ、そんな学生時代にも、手縫いとミシンの違いは感じていたという。

和裁を習った経験をもとに、その後、近所の子どもたちの浴衣や甚平をミシンで何着も縫った。

ミシンは、速い。

けれど、縫っているうちに布がずれてシワが寄ることがある。着たときの「落ち感」も、手縫いとは違って見えた。

「着姿があんまり良くなくって」

貴子さんによれば、手縫いは、ミシンよりも布の様子を感じながら縫う。縫う人の手加減が一針一針に入り、均一ではないからこその「遊び」が生まれる。その遊びが、着たときに身体へ沿う余白になるという。

30年前、貴子さんはすでに、その違いを感じていた。

そして30年後。

着物とはまったく違う場所で、その「遊び」に似たものと再び出会う。
古い日本の建築だった。

手縫いと大工仕事がつながった

貴子さんが訪れた神戸の竹中大工道具館には、大工道具や鍛冶仕事の歴史が展示されていた。

「それがやっぱりすごいかっこいいなと思って」

その世界に惹かれていた頃、江戸期の古い民家に手を入れていく、そのプロセスを記録する仕事が入った。

傷んだ柱を見極め、直す。
木の個性を読み、組み合わせる。
道具を研ぐ。
後世の人が直せるようにつくる。

残された仕事を辿っていくと、昔の職人の考え方まで、建物から伝わってくるようだった。

貴子さんが古民家に関わる中で面白いと感じたのは、見えない部分のつくりだった。

釘を使わず木と木を組む「木組み」。高度な技術でつくられている一方、そこで貴子さんが教わったのは、すべてを寸分違わず揃えることよりも、構造としてきちんと機能することの大切さだった。

また、畳の下に隠れる部分も、上から畳を敷くのだから、下地を完全に平らに揃えなくてもいい。畳がその誤差を受け止めてくれる。

きっちり仕上げるところと、そこまで頑張らなくてもいいところがある。

貴子さんは、そこに、

「すごい技術の中にある、おおらかな部分」

を感じたという。

「美しい着姿とか、美しい日本の建築っていうのは、パッと見綺麗なんだけど、そういうなんかこう、おおらかさみたいなものが、着物や建築を解体する中でわかってきた」

岩手の高齢の女性たちに昔の着物について聞くと、「着付け」という言葉ではなく、

「ただ、巻いてらった」

と話したという。

難しく考えていたけれど、着物は身体に巻き、紐や帯で留めるものでもある。その言葉にも、貴子さんは着物との付き合い方のおおらかさを感じた。

「手縫いの着物と手刻みの大工仕事が繋がったっていうのが、私の中で一番こうグイッと日本文化に引き込まれたポイントなのね」

着物のことを知ろうとしていたら、建築の話になった。
建築を見ていたら、30年前の和裁に戻った。別々に見えていたものが、つながり始める。

大きな田んぼから、子どもの仕事が消えた

さらに話は、田んぼへ移った。

貴子さんの夫は専業の米農家で、およそ13町歩の田んぼを耕している。広い田んぼを少ない人数で耕すためには、大型農機の力が欠かせない。

けれど、その風景を見ながら、貴子さんには気になっていたことがあった。子どもが手伝える仕事が、ほとんどない。

「次の世代に米作りって、なんかこう、風景とか経験として伝わらないなっていう危険を感じて」

そこで貴子さんは、約5年前、遠野へ通い、手で苗を植えるところから手作業の米づくりを教えてもらった。

現在は地元でも、地域の子どもたちや、普段は会社員や主婦として暮らす大人たちと一緒に、手植えや手刈りをしているという。

泥の中に足を入れ、苗を持って植える。
大人の仕事を、子どもが隣で見る。
できることを、一緒にやる。

「米」という字は「八十八」からできたといわれるほど、米づくりには多くの手間がかかる。

現代の農業では、機械化によってその多くを効率よく行えるようになった。それは、農家にとって大きな助けでもある。

一方で、効率化によって軽くなった「手間」の中には、米を育てる技術だけでなく、人から人へ手渡されていたものもあったのではないか。

貴子さんの話を聞きながら、私はそんなことを考えた。

「順序としては米作りがあって、大工仕事があって、着物に来た。衣食住全部だよね」

衣、食、住。

最初から一つのことを追いかけてきたわけではない。けれど、振り返ってみると、貴子さんが惹かれてきたものは、いつも暮らしの根っこのところにあった。

その土地で、人から人へと受け継がれてきた、衣・食・住だった。

祖母の針箱から、また知らない世界へ

知人から着物を譲り受けるとき、縫い糸や裁ち鋏、牛骨のヘラなど、古い和裁道具も一緒に引き取ることがある。

着物を仕立てたり、直したりするために使われてきた道具だ。譲り受けた糸は祖母の針箱におさめ、鋏も祖母のものを研いで使っている。

「使うたび、そこにあるのが目に入るたびに、先祖とのつながりを感じられるところがいい」

そこには針山もある。昔の針山には、人毛を入れることがあったという。髪の油分で、針を錆びにくくするためだ。

 小さな裁縫道具一つにも、知らないことがある。
調べていくうちに、昔の裁縫教科書にも行き着いた。

明治から大正期には、学校でも和服を縫うための裁縫が教えられていた。学校の外にも、裁縫を学ぶ塾があった。

戦前の裁縫教科書を読んで、貴子さんが心を動かされたのは、そこに縫い方だけが書かれているのではなかったことだ。

糸や布、道具そのものにも目を向け、その素材を知ること。ものの違いを見極め、工夫し、美しくつくること。
貴子さんには、手仕事を通して、暮らし方やものとの向き合い方まで伝えようとしているように感じられた。

「教育があたたかかった。愛があった。人間的だった」

教科書を読みながら、貴子さんは涙が出るほど心を動かされたという。そこにもまた、今は見えにくくなった「暮らしの中で学ぶこと」があった。

貴子さんは、昔、和裁を仕事にしていた近所の人たちにも話を聞いてみた。
けれど、「着る人がいないから」「もうやっていない」と言われることも多かった。

「この道具にやっぱり、人から人へ、なんか文化ごと伝えられてきたっていうのがわかってきた」

手の延長となる道具には、先人の工夫がある。
土地によって異なる知恵がある。そして、それを受け継ぎ、伝えてきた人がいる。

物だけが残っていても、使う人がいなくなれば、そのすべてが残るわけではない。

「道具はそうやって、こう文化が乗っかってたもんなんだよね、きっと」

今は、服を買うことができる。
米づくりも、大きな機械によって効率化できる。
暮らしはずいぶん便利になった。

その一方で、かつては日々の衣食住の中で自然と身につけていたものに、触れる機会が少なくなっているのかもしれない。

手加減。
素材を見る目。
季節との付き合い方。
人から教わり、人へ渡すこと。

文化とは、知識として覚えるものだけではなく、暮らしの中で身体に染み込んでいくものでもあるのだろう。

貴子さんの話を聞きながら、そんなことを考えた。

着物は、土地を纏い、人と話す

貴子さんの「なんで?」は、さらに続いていく。

今度は、色や柄だ。

兵庫で育ち、岩手で暮らす貴子さんには、着物の色も、土地によって違って見える。
地域によって、使われてきた素材も染料も、受け継がれてきた染めや織りの技法も違う。
「風土を本当に着物は纏えるんだなっていう感じ」
「日本人っていう一括りじゃないなって、着物を見ると思って」

「日本文化」という一つの大きな言葉では見えなかったものが、一枚の布から見えてくる。

文様にも意味がある。

何を選び、どう纏うか。着物には、その人が何を大切にしているのかが表れる。文様にも、願いや、次の世代へ伝えたい思いが込められてきた。

「着物っていうのは言語なんだって、コミュニケーションツールだったんじゃないかって」

着物を着て外へ出る。
人に会う。
話が始まる。
そこでまた、知らなかったことを教えてもらう。

着物を着ることは、いつの間にか、人や土地と出会うきっかけにもなっていた。

「伏線回収みたいな」

現代の米づくりに疑問を持ち、手植えや手刈りを始めた。
日本の伝統的な民家に関わり、大工道具に触れた。
30年前、10代で和裁を習った。
そして今、着物を日常的に着るようになった。

一見、別々に見えるものばかりだ。

けれど貴子さんは、着物を着るようになってから、それまで自分が惹かれてきたものが、一つにつながって見えるようになったという。

「伏線回収みたいな」

そう言って笑った。

米づくりには、人と自然、人と人のつながりがある。
古い家には、土地の素材と、それを生かしきる職人の手がある。
着物や針箱には、縫った人、着た人、直した人、そして次に使う人へと続く時間がある。

貴子さんが着物を通して見つけたのは、昔のものそのものではなく、その奥にあった「つながり」なのかもしれない。

人から人へ。
暮らしから、次の世代へ。
土地から、そこに暮らす人へ。

貴子さんの言葉を借りれば、それは、暮らしの中にあった「つながりのデザイン」を拾い直すことでもある。

「着物を渡したいというより、着物が当たり前だった時代の価値観や、時間の流れ、美しいと思う心。そういうものを伝えたい」

昔の暮らしが、何もかも今より優れていたわけではない。便利になったからこそ、私たちの暮らしはずいぶん楽になった。

けれど、その途中で、見えにくくなったものもあるのかもしれない。

その入口はいつも、暮らしの中にある。

「なんで、こんなに縫い目が大きいんだろう」

一枚の古い着物から始まった「なんで?」は、大工仕事へ、米づくりへ、昔の教科書へ、そして土地ごとに受け継がれてきた染めや織りへと広がっていった。

「本だけ読んで『こうだよ』とも言えないから、まず着物を自分で着てみて。それから理解する」

その言葉を聞いて、やってみることで初めて見えてくるものがあるのだと思った。

本を読んで知ることもできる。
けれど、自分でやってみると、手触りや身体の感覚と一緒にわかることがある。
そこからまた、新しい「なんで?」が生まれる。

そして貴子さんは、昔のものづくりを自分で使い、体感することをもうしばらく続けたいという。

「子どもたちに伝えていきたいなっていう感じかな」

自分でやってみる。そこから知る。そして、次の世代へ渡していく。

けれど、貴子さんの好奇心は、そこで終わらない。

「着物を普通に着られるようになったら、また次のテーマね」

もちろん、着物について知り尽くしたという意味ではない。むしろ、着れば着るほど、布や仕立て、文様、道具、その背景にある歴史へと、知りたいことは広がっている。

貴子さんは、きっとまた、新しい「なんで?」を見つけるのだろう。

そんな話の最後に、ふと、こんな言葉が出た。

「あんなに勉強嫌いだったのに、私はもっと生きるための勉強、衣食住についての知恵を学びたかったのかも。老眼がはじまるようになる頃に、また針を持つことになるなんてね」

30年前、課題から逃げ回っていた貴子さんが、今、自分から針を持っている。

そうやって古くて新しい「物差し」で、貴子さんの日常はこれからもアップデートされていく。

PROFILE|貴子 

兵庫県出身、岩手県在住。短大の家政科で和裁・洋裁を学び、家庭科教員免許を取得。デザイン会社での仕事を経て、現在はパーマカルチャーデザイナーとして企画・デザインなどに携わる。米農家兼ヴィンテージバイヤーの夫と暮らしながら、衣・食・住を入り口に、日本の暮らしや文化を自分の手で学び続けている。